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Interview Part 1

前作『DRAMA』以降というのは、バンドの歴史の中でもいろんなことがあった期間だと思います。清水君の脱退から、新メンバーの中野君加入までの経緯を振り返りたいのですが、まず清水君の脱退が決まった時点で、残りの3人の間でどんな話し合いが持たれたのでしょうか?

五味兄:じゃあ、まず「抜ける」となったところまで遡って。ちょうど前のアルバムのツアー・ファイナル(9月30日代官山UNIT)が終わった翌日に僕らメンバー4人とマネージャー斉藤とトイズファクトリーのディレクター町田とで次のアルバムのことや今後のバンドの展開について話し合いをする予定になっていて。ファイナルが終わってからそのまま東京にいたんですけど、その話し合いが清水の「辞めようと思ってる」って話からまず始まって。周りの皆は次の音源をどうするのか話し合う段取りで集まっていたので、いきなり「どうすんねん?」みたいな感じになって・・・。それでそこでまあ清水が抜けることが決まって、そこから暫くはどうするかというよりも、どうしたらいいか分からんみたいな。バンドは続けたいけどメンバー1人抜けたらライブも出来ないじゃないですか。続けようというのは3人とも思っていたけど、やるんやったらメンバー1人見つけないとあかんし。その時の状況で出来る事といったら、3人でやっても仕方ないけどスタジオで練習しながら、曲も作りながら、メンバーも探しながら、みたいな感じで全部並行して一応やってたんですけど、結構どこに向かってるか分からんみたいな感じで。

はい。

五味兄:目標も無くただやっていたというか、そうするしかなかったというか、フラフラしてるというか。

五味君はblogでいろいろ書いてくれたりしていましたが、その時拓人君と岩城君はどういう風に思っていたのですか?

五味兄:それ、僕も聞きたいです。

一同笑い

拓人:僕の中ではそこでバンド自体が1回解散したような感じやったんですよ。清水が抜けるとなったのがキッカケじゃないけど、キッカケですかね、3人残って「自分がこれからもバンドやりたいか?」と思ったら、「バンドやりたい」と思ったし。そこで「誰と一緒にやるか?」となったときに、「その残ってる2人とやるのか、その残ってる2人も俺とやりたいと思ってくれてるのか?」、みたいなところまで考えてました。清水が抜けて今のバンドをこれからどうするかというより、自分が音楽をやるために自分個人をどうしようかという。

岩城君はどんな感じでしたか?

岩城:僕はね、清水が辞めたいというのは知ってたんですよ。

そうなんですか!(笑)

五味兄:lostageと別でバンドやってるじゃないですか、Golden Pink Arrowを。それでそっちは清水と2人で行動するから。

岩城:まあ清水とは高校のときからの付き合いで、もう腐れ縁的な感じやったんで。

五味兄:だからね、一番仲いいんか、よく分からんけど・・・。

岩城:仲は良くもないですけど。そんなに仲良くはないですけどね(笑)。

五味兄:まあ、なんかいろいろしてたみたい。

岩城:だから一番思ってることは僕に言ってくるんですよ。まあ知ってたから「ああ、そうか」と思って。

五味兄:知ってたんやったら言うてえや(笑)。

一同笑い

岩城:まあ、それはもう自分で言わなあかんやろうなと思ってたんで。

ああ。

岩城:でも別に清水が辞めるから僕も辞めるとかじゃなくて、全然そんなのは気にしてなくて、次のメンバーをどうするかとか、すごい前向きでしたけどね。

五味兄:その時(岩城が)一番気持ちの切り替えが早かった。清水から「辞める」と言われて、「じゃあ、どうするん?」みたいな話をすぐそこで始めてたのは確かに岩ちゃんやったし。

拓人:「もっと上手いやつ入れよう」とか(笑)。

そうなんですか?(笑)

拓人:「絶対良くなるって」って(笑)。

五味兄:俺らは結構「どうしようかなあ?」というネガティブな感じで。

岩城:そうそう。東京から帰るときも、(五味兄が)「一緒に帰るの嫌や」とか言い出して。

拓人:結局そのまま清水だけが東京にもう一日残って。俺らは「もうお前とは出来へん!」って感じになって。「何を言い出すねん!」みたいな。

五味兄:今後のライブも決まってるのに「お前と一緒に帰るの嫌や!」となって、「先帰る!」って言って清水だけ置いて帰った(笑)。帰りの車の中でも「どうしようかなあ?」となって。

岩城:一番最初のインターに寄って、吉野家の牛丼食ってるときも『ズーーーン』ってなって、めっちゃ落ちてるんですよ。

五味兄:そんなんさあ、清水は自分の中で辞めるって決まっていて、辞めたらどうするかとかも予め自分の中で考えられてたじゃないですか。僕とかは次のアルバムの事とかを考えて話し合いに行って、いきなりそれが全部白紙になって、どうしようみたいな感じ。レコード会社の人からも「えーーーー!?」みたいな感じで言われるし・・・。

もちろん解散はしていない訳なのですが、例えば解散であるとか、メンバーが変わってバンド名を変えるとか、そういう選択肢は考えなかったのですか?

拓人:「バンド名どうしようか?」という話にもなったんですけど、今までやってきたことの積み重ねもあるし、それを使わない手はないなと。

五味兄:ゼロにするのは勿体無いなというか、やらしい言い方ですけど。もう一回一から皆に「僕らはこういうバンドです」と分かってもらっていくというのがどれだけ大変かというのは今までやってきて分かってるし。それを全部リセットして、また一からやるというのも出来るだけ避けたかったし。今まで自分がやってきたことに『俺がlostageだ!』みたいに思える自信もちょっとずつ付いてきてたし、最後にもし俺が1人になっても『lostageって出せるか?』みたいなことも考えたりしてたし。それも考えてそのままその名前で引き継いでやりたいと思いましたね。

岩城君はどうですか?

岩城:一緒ですよ。もう「意地」みたいな。

五味兄:意地もあるし。はっきり言って最終的には名前とかは何でもいいと思うんですよね。結局音楽作っていて、バンドの人間関係だったりとか、そういう部分で扱い難いところがあるから名前を付けないとあかんというだけで。名前もぶっちゃっけ何でもいいんですけど、ただ皆に知ってもらうキッカケを作るために今までやってきた事とかを全部無駄にしたくなかったし、その為にこの名前を使ってやるっていう。

その頃中野君はどうされていたんですか?

中野:僕はそのときは・・・、(清水が)抜けるときですか?

はい。抜けたときですね。

五味兄:9月の時点で。

別にそれ以降のことでもいいんですけど。

拓人:アリバイ(笑)。

中野:アリバイ?でも俺も電話で清水が辞めるっていうのは知ってたんですよ。

そうなんですか!?

五味兄:そうや、そうや。清水と中野も仲良かったから俺らに辞めるって言う前に先にこっちが知ってたんや。

そうなんですか、知ってたんですか?

五味兄:知らんかったのは俺らだけで(笑)。

直接中野君に相談があったのですか?

中野:相談というか、まあ愚痴に近い・・・。なんて言うの、俺も「別に知らんし」みたいな感じやったし。バンドの事はバンドの中でしか分からんから。まあ「辞めるんやったら辞めたらいいんちゃうの」みたいな。別に他人事やし(笑)。

五味兄:冷たいな(笑)。

一同笑い

その頃は別でバンドはされていたのですか?

中野:いや、そのときは丁度もう無かったです。いつか忘れた・・・、丁度8月くらいに辞めたのかな。

次の活動等は考えてなかったのですか?

中野:何も考えてない。丁度何も考えてない時期でしたね。

五味兄:PIECE PIX(※1)ってさあ、「じゃあ解散です」って、解散宣言みたいなんあったん?

中野:いや、してないで。結局、杉と俺が揉めて。

五味兄:空中分解的な?

中野:まあ。マーシーと殿下(※2)を呼んで、「ちょと辞めるわ」みたいな。最悪の終わり方(笑)。

拓人:えっ、杉もっちゃんと中野っちとで揉めたん?

中野:そうそう。

拓人:ああ、そうなんや。

実際lostageから中野君にはどういったアプローチがあったのですか?

中野:普通に電話で、「やれへんか?」みたいな感じで。

五味兄:ベアーズとファンダンゴのイベント(※3)があったじゃないですか?、その時に清水と4人で飯食いに行ってて、そこで次のメンバーがなかなか決まらへんという話を清水としてて、「お前どうしてくれるねん!」みたいな話をしてて(笑)。

一同笑い

五味兄:まあ、その時はもう笑いながらそういうことも言えるようになってたから。ほんなら清水が「中野がええんちゃう?」って。でも中野は東京に住んでるし、入るとなってもし遠距離でやるとしてもいろいろ障害がある。でもダメ元で頼んでみようと電話してみたのが最初のアプローチです。

前から知っていたというのはあると思うんですけど、何も引っかかるものがなかったら電話もしなかったと思うんですけど。

五味兄:ああ、メンバーに入ってもらうのに?

はい。

五味兄:その、昔中野がFAHNERS WITCH(※4)ってバンドで大阪で活動してて、僕らlostageも大阪でライブするようになったときに電話とかするようになって。まあそのカラミとかもあったんですけど、それ以外にもPIPE69というライブハウスで店長のMORGUE SIDE CINEMAのベースのテラオさんが、自分がメインボーカルのバンドをやりたいという企画があって。その時に僕らが呼ばれて、最初俺がベースで中野がドラムで、あとカルマステンチというバンドが大阪にいたんですけど、そのギターのタイチさんと4人でたまにスタジオに入ってたりしていたんです。中野がまだ大阪にいたときに。その時にプライベートで会ったりとかしてて、音楽好きなんやなっていうのは凄く知ってたし、別にギターがめっちゃ上手いとかは思ってなかったです。けど同じようなシーンでやってたし、「やりたい、やろう」と思ってる事もたぶん分かり合えるやろうなというか。まあ、やってみな分からんというのは最初あったんですけど。

中野君はそのオファーを受けて、何が理由で加入を決意したのですか?

中野:理由?理由とかは・・・、とりあえずやりたいから。

一同笑い

五味兄:たぶん無いやろ!(笑)

中野:僕もバンドはまだやりたいというのはあって。実際に入ると決まったのは最初にスタジオに入ってからやんな?

五味兄:うん。中野も「やってみたい」というのは電話で話した時に言ってて。でもお互いに相手がどんなんか分からんし、まあメンバーもそうやし。「とりあえず1回スタジオ入ってみようや」って。

中野:俺もそのときは「とりあえず1回(スタジオ)入ってみようや」って。何とも言えないし。相性が悪かったらそっちにも悪いから。それでスタジオに入ってみて「大丈夫かな」と思って。そのとき多分、五味っちかちょっと分からないですけど、何か良いこと言ってるなあと思って。結構話をして、なんか良いこと言っとったし。

五味兄:まあ良いこと言わんとね。入ってもらえないし(笑)。

一同笑い

拓人:その時俺にはメールで「俺にまかしとけ」みたいな、「俺が説得するから」って。「大丈夫やから」って(笑)。

一同笑い

中野:めっちゃええこと言ってたで(笑)。

ちなみに何を言ってたんですか?

五味兄:あんだけ良いこと言ってたんやったら、お前それをどんどんインタビューで言えよ。そしたら「あいつ、ええ」みたいな感じになるやん(笑)。

中野:「情熱」みたいなんがすごい伝わってきた。

姿勢の面でということですか?

中野:そうそう、音楽をやる姿勢ですね。

一番最初に合わせたのはどの曲ですか?

岩城:一番最初に合わせたのは「RED」やな。

中野:でも5曲くらい覚えて行ってて。シミー(清水)に教えてもらったりとか。

五味兄:仲が良かったから、どうやって弾くとか直接教えてもらってたんですよ。

中野:その前にあいつ遊びで東京に来る機会があって。その時に「じゃあ教えて」みたいな感じで。

五味兄:ライブもね、清水の最後の東名阪クアトロツアーの時は中野も一緒に行ってたんですよね。移動も5人で一緒にして。最後の方はスタジオにも5人で入ったりして。引継ぎじゃないですけど、ギターに関しても直接オリジナルのやつをそのまま。

会社の引継ぎみたいですね(笑)。

五味兄:まあね(笑)。元々ある曲は清水が一緒に作ってるし。中野も言ってたけど、元あるオリジナルの雰囲気を損ねないようにやりたいと思ってるし。それがまず自分のものになってから、自分なりのアレンジを加えていく方がたぶん良いやろと。たぶん本人もまずは「元あるものをどうやって自分のものにするか」というのを重点的にやってくれていたと思います。

最初の感触はお互いどうでしたか?

岩城:全然違和感なかったけどなあ。

拓人:でも実は中野君を誘う前に二人くらい声をかけていて。一回1人他の人とスタジオに入ったりしたんですけど、「どうやろなあ?」っていう感じやって。それが中野君で「あっ、いけるんちゃうかなあ」と思った感じですかね。

五味兄:あんまり人に言ってないですけど、一回僕がギターになって、ベースを新しく入れるっていうことになって。岩ちゃんの友達でベースがうまい奴が奈良にいて、そいつ入れてみようって。「お前ギターやれ」って言われて。俺そんなにベースに拘りがないっていうか、ギターも好きやし、楽器とか別に何でもいいし、バンドがやれたらいいからって思っていたから。それで僕がギターを持って行って、ベースの奴といっしょにスタジオに入って。でもそれが結構良かったんですよ。

岩城:それはそれですごい良かったけど、なんか・・・

五味兄:なんか新しい感じやったんですよ。

五味君が清水君のパートをやって?

五味兄:そうそう、ちょっと教えてもらったりして。歌いながらやり易いようにちょっと崩したりして。でも結局そのベースの奴には「ああ、やっぱりいいです」みたいに言われて。僕もその時ギターをやってみたけど、弾きながらやるのは難しいし、拓人には「ちゃんとやれギター」ってめっちゃ怒られて。拓人はギターやから。俺も練習するけど、やっぱできへん。やっぱり今まで7年くらいベースやってたし、そっちの方がいいなと思って。機材とかも持ってるし(笑)。やっぱギタリスト入れようって。「おらんな、おらんな」って言ってて、中野に東京から出てきてもらって。

中野君としては感触はどうでしたか?

中野:いや僕はねえ、どんな感じかは・・・、まあどんなんがええんかもよう分からへんし。でも何となく雰囲気は、何かやっていけるかなって思ったんですよ。

五味兄:むっちゃ警戒しとったよな?(笑)

中野:座りながら弾いてましたね(笑)。

五味兄:(猫背でギターを抱えこんで)こんなんなってましたね(笑)。

一同笑い

中野:譜面をこう見て(ギターを弾く格好をして眉間に皴を寄せて譜面を)、こう。何て言うの、人のバンドとスタジオ入るのって緊張するよね?

拓人:するで。

五味兄:まあ俺も緊張したわ。

中野君は加入する前はlostageについてどう思っていましたか?

中野:そりゃまあ、いいバンドと思っているから入ったんですけど。

入ってから、変わった印象はありますか?

中野:意外とゆるいなと思った、雰囲気とか。もっとピリピリしている時もありましたけど、五味っちが以外とおもろい。

五味兄:何やねんそれ!(笑)

中野:いや、そんなにしゃべるイメージなかったやん?

五味兄:あ、俺?

中野:しゃべるけど、そんなアホなことはせん感じやったやん。

五味兄:それはたぶん俺が変わったっていうか、皆が誤解してるだけやと思うねんけど。元々俺おもしろいで、な?

岩城:えっ、そう?

五味兄:別に俺自体変わってない。

中野君の音楽的バックボーンをいくつか教えてもらえますか?

中野:ギターを始めた時はハードロック全般。

拓人:どんな雑誌読んでたんやったけ?(笑)

中野:『YOUNG GUITAR』と『BURN』。

五味兄:『YOUNG GUITAR』ってまだあるんですか?(笑)

ありますあります。イングウェイ・マルムスティーンとかがギターを持ってガッツ・ポーズして表紙に載ってるやつです。

中野:表紙がだいたい(笑)。

五味兄:あるんやまだ(笑)。

中野:その時は結構レッド・ツェッペリンとかディープ・パープルのコピーとかしたりして。その後に皆が聴いてるような90年代の、NIRVANAとか聴くようになって、あんまり練習しなくなりました。

練習しなくなったんですか?

中野:練習しなくなりました。しないでも別に出来るわみたいになって。もっとカッコいいこと出来るわって。

技術は追求しなくても?

中野:そう。それでその後は、本当に皆と似たようなところやと思うんですけど。

ハードロックから入るのって、まあ王道ですよね。

五味兄:僕らの世代はたぶんそうですね。

街のCD屋さんとか「洋楽=ハードロック」みたいな品揃えになってたりするじゃないですか?(笑)

五味兄:田舎に行けば行くほど。

バンドマンの方でもハードロックから入った人って、たぶん多いんじゃないかと思うんですけど。

五味兄:隠してるだけ(笑)。

中野:隠してるやろ(笑)。

隠してますよね(笑)。

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